白いハト
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仕事を終えて帰宅すると居間のテレビがついていました。
テレビでは広島の原爆の番組をやっており
僕はその時、初めてこの日が“原爆の日”だったことに気がついたのです。
食事後、テレビを見ながら妻と戦争のことについて話し合うことになりました。
しかし話を初めてまもなく、僕は自分の平和と戦争への意識が低い事が露呈する発言をしてしまいました。
原爆の日という事の認識すら無く、戦争や平和に関しても意識が低い事を僕は悟らざるを得ず
僕自身非常に恥ずかしく、なんてバカなのだろうと思いました。
しかし、僕はその場で自分の恥ずべき問題を認め、反省する言葉を妻に素直に口に出すことができませんでした。
そして適当に話題を変えて、その場から逃げてしまったのです。
こんな自分をはずかしく思います。
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次の朝、いつもの様に川沿いの公園に写真を取りに行きましたが、
昨日のことがあって、なんとも気分が晴れません。
虫たちもあまり顔を見せず、何も撮れずにとぼとぼと川沿いを歩いていると
前方から 一羽の白いハト が現れ、こちらに力強く飛んできました。
しっかりと前を見据えて力強く羽ばたきながら、僕の左斜め上を飛行し通過して行きました。
その白いハトが力強く自分の横を飛んでいった瞬間
僕はなぜか胸のつかえがスッと取れたような気がして、心が軽くなった様に思えたのでした。
ちなみに白いハトは、今までこの近辺で見かけたことがありません。
そして僕は歩きながら大好きなピカソのハトの絵を思い出しました。
ピカソは沢山のハトの絵を残していますが、どの様な思いを込めてハトを描き続けたのでしょうか?

僕は、自分が平和に対して何ができるのか、まだわかりません。
ですが、ひとまずすぐにできる具体的な最初のアクションとして
戦争や平和に対して意識が低い自分を戒めるために、上の写真のピカソのハトの絵を医院の目立つところに置いたのです。
午前の診療中、何を考えてもいないのですが、目立つところに置いたハトの絵が何回か目に入りました。
そして昼休み、ご飯を食べに行くため外を歩いていると、足元にハトの羽が落ちているのを見つけました。
その羽を拾い上げようかと、2度3度ふり返って迷ったあげく、結局引き返してその羽を拾い上げたのでした。

そして、しばらく歩くと、全然違う場所でまたハトの羽が。。。
普段はハトの羽が落ちているなど気にもとめないのですが、ハトを意識しただけで次々とハトの羽が見つかることが本当に不思議でした。
まだ平和に対しての意識も低く、何ができるかわからない僕ですが、
ハトの絵を置くという本当に小さな行動からでも始めることで、
何かしら平和に対しての次の行動が見つかるような気がしたのでした。
それが大きく実を結ぶようなものになるかはわかりませんが、なにか希望の様なものを感じたのです。
次のアクションは連休中に戦争と平和に関する本を読もうかと思います。
白いハトさん ありがとう ありがとう
・・・つけたし・・・
息子は2歳2ヶ月で原爆や戦争のことなどわかるわけもないのですが
広島の平和式典を無言で見る家内の傍らでテレビを見つめて
「かわいそうね〜。」と言ったとのことでした。
彼には式典の意味はわからないと思うのですが
家内の思うこと考えることは言葉を介さずとも認識できたのだろうと思います。
口にする言葉の重要性は言わずもがなですが
親が思ったり考えたりすることは、言葉を介さなくても子に伝わるのだな〜ということに気づかされる出来事でした。
そして親は言葉だけでなく、親自身が何を思い考えるのかといったことに関しても、常に意識と責任を持たねばならないことを実感しました。
さらに、このことは仕事の上でも、他のすべての人間関係においてもそうなのかなと思いました。
子供には様々なことを教えられます。息子にも感謝。
そして、妻にも感謝。いつもありがとう。