おそらく 最初で最後の入れ歯。。。
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その様な経歴ですので、大学卒業後は入れ歯やむし歯の治療などは全くやらないで現在まで来てしまいました。
そんな経歴の私ですが、ただ1組だけ入れ歯を作ったことがあります。
それは学生時代の臨床実習(実際の患者さんを教官の先生の指導のもとで治療する実習)で、つくったのは僕のおばあちゃんの入れ歯です。

当時おばあちゃんは79才で、僕は23才。それから沢山の年月が流れて、おばあちゃんは95才で僕は39才になりました。
そして今日は、僕が作った唯一の入れ歯の持ち主のおばあちゃんの要請で、おばあちゃんの家に入れ歯の修理に出かけることになりました。しかしさすがに、入れ歯に関してはブランクが長いので家内に修理調整をお願いしました。
家の縁側(?)に椅子をだしての、なんとものどかな庭先の午後の治療風景です。
95才のおばあちゃんが、学生実習で僕がつくった入れ歯をまだ使ってくれていると思うと感無量です。作った当時は、ここまで長期に渡って使うことなど全く考えもしませんでした。
様々な思い出がある入れ歯です。
まず、家から大学病院へは通えないので、おばあちゃんは横浜の親戚の家に泊まって1時間以上もかけて通ってくれました。しかもおばあちゃんは当時かなり目が悪かったのでほとんど周囲が見えない状況だったと思います。
悪いこともしました。そこまでして一生懸命通ってきたのに僕が寝坊して家で寝ていたこともありました。本当にひどい孫だと思います。
あと、おばあちゃんは背が高いんですね。実習の教官の先生が2人ついてくれたのですが、その先生達よりもグッと背が高くて、友人達は「さすが有島のおばあちゃんはでかいな〜!」と言ってたっけ。
おばあちゃんも「小さな先生だけど平気かい?」と聞いてました。
ホントの話です先生ごめんなさい。

治療の後で、目の悪いおばあちゃんの手を引いて、スカイラークにご飯を食べに行きました。おばあちゃんは、ファミレスとかは多分初めてだったんじゃないかな。
たまたまおばあちゃんの好きなカツオのタタキ定食があって、見えない目で食べながら美味しいって喜んでくれたのがうれしかったです。
だけど、おばあちゃんは高いお店に来たんじゃないかと思ったらしく心配もさせちゃった。
診療に通ってくるおばあちゃんに「目も悪いのに通わせちゃてゴメンね。」と言うと、
おばあちゃんはいつも決まって「どうせ私は家にいても用無しですから。」と僕を気遣って言ってくれていたのでした。
それ以降、洋梨(ラ・フランス等)を食べるたびに、おばあちゃんの恩を噛みしめるたびに思い出します(笑)
そして、一緒に大学病院に目の検査を受けに行ったら脳に良性の腫瘍が見つかり、入れ歯が完成した後で手術をして、目も良くなって。。。
そしてそれから十数年。今日はおかげさまで、なんとも良い日になりました。おばあちゃんと家内にはお礼を言いたいです。ありがとう。