広隆寺の弥勒菩薩
|
前にも述べましたが、私は世界の芸術や文化を広く知り評価出来るような者ではありません。
しかしながら、日本の文化を評価しているとても素晴らしい言葉を見つけましたので紹介したいと思います。
私は日本に残る文化財を評した言葉でこれ以上素晴らしいと思える言葉を知りません。
国宝第一号の広隆寺の弥勒菩薩に関する言葉です。
“ 弥勒菩薩について ”
カール・ヤスパース (ドイツ・実存哲学者)
私は今まで哲学者として、人間の存在の最高に完成された姿の象徴として、様々なすばらしいモデルに接してきました。
古代ギリシャの神々の彫像も見たし、ローマ時代に作られた多くのキリスト教的彫刻をも見てきました。
しかしながら、それらのどれにも、まだ完全に超克されきっていない地上の人間的なるものの臭いが残っていました。
理知と美の理想を表現した古代ギリシャの神々の彫像にも、地上的な汚と人間的な感情が、まだどこかに残されていた。
キリスト教的な愛を表現するローマ時代の宗教的彫像にも、人間存在の本当に浄化されきった喜というものが完全に表現されてはいないと思います。
それらのいずれも、程度の差はあっても、まだ地上的な感情の汚を残した人間の表現であって、本当の人間実存の奥底にまで達し得た者の姿の表徴ではないのです。
然るに、この広隆寺の弥勒像には、真に完成され切った人間実存の最高の理念が、あますところなく表現され尽くしています。
それは、この地上におけるすべての時間的なるものの束縛を越えて達し得た人間の存在の最も清浄な、最も円満な、最も永遠な、姿のシンボルであると思います。
私は今日まで何十年かの哲学者としての生涯の中で、これほど人間実存の本当の平和な姿を具現した芸術品を見たことは、未だ嘗てありませんでした。
この仏像は我々人間の持つ心の永遠の平和の理想を真にあますところなく最高度に表徴しているのものです。
抜粋・・・『敗戦の彼岸にあるもの』篠原正瑛著
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
写真はオリジナルではありません。
非常に良く撮れた写真ですが、実物を見るとまた印象がかなり違うと思います。
とてもやさしい感じのする仏様で、大好きです。
かなり暗めの照明の中で見ることもありますが、じっと見ていると表情が変わるように見えてくるから不思議です。
見ていると時間を忘れてしまいます。
また、会いに行きたいです。
僕。仏像オタクなんです。